IF-Independent Films
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program A
水俣病=その20年=
program B
水俣病―その30年―
【シリーズ2】公害の原点・水俣から学ぶ Vol.9
水俣病=その20年=/水俣病−その30年−
水俣病=その20年=/水俣病−その30年−
DVD

IFシリーズ2「公害の原点・水俣から学ぶ」全17枚セット
※こちらの作品はセット販売のみとなります。

価格 624,750円(税抜:595,000円)

公共・大学図書館、公共施設でご購入希望のお客さまや、作品に関しては、シグロまでお問い合せください。

個人用DVDは個別にご購入いただけます。
ご購入希望のお客様はシグロの商品ページよりご購入ください。
セット(85,680円(税抜81,600円))でのご購入希望のお客様はシグロまでお問い合せください。
program A
水俣病=その20年=
MESSAGE FROM MINAMATA TO THE WORLD
閉ざされた海、不知火海――チッソはこの海辺で、日本最大の化学工場として、酢酸・アセトアルデヒド・塩化ビニールなどを作り続けてきた。有機水銀は、36年間にわたって、そのまま水俣湾に流されてきた。それは自然を汚染し、魚を侵し、やがて人間をたおすに至った。
今から約20年前(1956年当時)、水俣病は“奇病”といわれ、伝染病か中毒かも分からなかった。この奇病は、主に漁村部から次々と発症し、街の人びとは伝染病として忌み恐れた。ネコを使った動物実験などを手がかりに、原因究明の努力が続けられたが、初期の患者たちの多くは次々と狂い死んでいった。この間、チッソは研究に全く協力しないばかりか、戦争中海底に沈んだ爆薬が原因とする説など、様々な原因説を発表あるいは支持し、原因究明を意図的に引き延ばした。
この頃、日本はひたすら高度経済成長に向けて、つき進んでいた。政治・経済の中心、東京にとって水俣の地はあまりに遠く、チッソの排水が水俣病の原因であることを公式発表するまでに、13年を要したのである。
しかし、政府が言明した後も、チッソは依然としてその責任を認めなかった。患者とその肉親たちは、自らの病苦にむち打って、裁判に、デモに起ち上がらなければならなかった。
1973年、水俣病裁判が終わった。患者たちは、判決を聞いたその足で、東京のチッソ本社へと上京した。この裁判に勝訴したことによって、患者たちは、はじめて対等に会社と話し合うきっかけを掴んだのである。
このような、裁判闘争をはじめとする、患者たち自身による闘いの中から、潜在していた患者が浮かび上がってきた。1976年現在、申請者3千数百人。そのほとんどが、慢性型水俣病の多様な症状を訴えている。水俣病は脳だけでなく、全身性の疾患と指摘された。そして、その病像はいまだ明らかにされていない。
胎児性水俣病の患者たちは、今それぞれに青年期を迎えている。――ともすれば、この人びとは忘れられがちである。まして今、不知火海沿岸に生まれ、診断もされずにいる、同じような症状の子供たちのことは、医学の霧の彼方に放置されている。
不知火海に漁は今も続いている。
水俣病は終わっていない。環境汚染はそっくりそのまま水俣に残されているからだ。しかし同時に、水俣の人びとの体験と歴史も、また私たちに残されているのだ。
(『水俣病=その20年=』パンフレットより)
 
水俣病=その20年=/水俣病−その30年−[スタッフ]
製作:高木隆太郎
演出:土本典昭、小池征人、有馬澄雄
撮影:大津幸四郎、高岩 仁、一之瀬正史
録音:浅沼幸一、鈴木章平
ネガ編集:市原啓子
ナレーター:伊藤惣一
線画:淵脇国盛
効果:福島雄一郎
音楽:三木 稔
事務局:米田正篤、佐々木正明

1976年/日本 記録映画/白黒/43min./青林舎
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programB
水俣病=―その30年―
MINAMATA Those 30 Years
「水俣病事件は埋め立てされる時代なのか」。1980年代は申請者数の増大を抑えようとする行政側の圧力が強まっていった時代だった。ニセ患者呼ばわり、チッソ倒産という脅しなど、以前の患者差別と企業優先理論へ逆戻りしたかのようにである。
かつての一株運動やチッソとの自主・直接交渉を封じられ、やむなく裁判闘争に転じた患者は勝訴しても上訴で結果は先送り。待つ間に患者には死期が迫るのだった。
一方、チッソはその補償経費の負担を、県の“県債”で肩代わりしてもらい、倒産を免れている。かつて患者発生が続く中、毒害、毒殺の原因と見なされた廃液排出を認可し続けた国家の後ろ盾で、チッソは現在も生き延びている。
不知火海は美景を誇る。が、水俣病の影は覆い隠しがたい。毒々しい廃液を記憶する年配の人、困惑するチッソ従業員、周囲への配慮から申請を断念する患者がいるかと思えば、“ニセ患者”の風評を信じる人がいる。
1986年、水俣で、水俣病発生公式確認後30年記念の慰霊祭が患者、支援者によって催された。壇上で歌われるご詠歌は1970年チッソ株主総会の抗議に歌われて以来だ。目立つ空席が患者の孤立を暗示する一方、壇上では患者多発地帯の中学生が、警鐘の気持ちをこめて作詞作曲した歌を合唱する。 
原田正純医師が、急性激症患者・尾上光雄の日常生活の困難を、徳山湾水銀汚染を究明する山口大学の医師たちに説明する。しかし認定審査員は、このような日常生活の困難を考慮しない。
潜在していた患者の申請は、過去30年に14,596人に激増したが、認定救済されたのは7分の1の2,147人に過ぎない。対岸の御所浦でも住民5人に1人が申請者だ。ここで毛髪水銀値世界最高者を発見した時、行政は連絡もせず放置したという。
母に背負われた岩本真美は当時18歳、申請後9年になるが無回答のままだ。その御所浦で川本輝夫は「水俣病はいわゆる病気でなく、チッソによる毒殺、毒害です」と説く。
1982年大阪在住患者40人が裁判にたった。「待たせ賃裁判」も「棄却取り消し裁判」も勝利したが、控訴、上告によって結果は先送りされた。
水俣病を未然に防ぐため世界に知らせようという患者たちの努力が続いた。ストックホルム国連環境会議をはじめに、水俣病のカナダ・インディアンとの交流、アジア民衆環境会議初開催があった。また元環境庁(現・環境省)長官を中心とする「水俣環境大学」構想も生まれた。
水俣病でほぼ一家を失った緒方正人が、県議会議員のニセ患者発言に抗議中、揉み合いとなり、“暴行罪”で裁かれた。「有罪が悲しいんではない。裁判官が水俣病事件を識る機会となり得なかったことが空しい」と緒方正人は言う。彼はヘリコプターに乗り、上空から工場をみて「(水俣病の犯罪現場として)見せつける為に残すべきだ」と主張する。
映画は追い詰められる未認定患者の苦渋と混迷を描き、「チッソは水俣病事件に向き合い続けよ」と結んでいる。
(『土本典昭フィルモグラフィ2004』より)
 
[スタッフ]
製作:高木隆太郎、山上徹二郎
演出:土本典昭
演出助手:樋口司朗、藤本幸久
撮影:清水良雄
撮影助手:北條豊
録音:岡本光司
録音助手:滝澤修
解説:伊藤惣一
音楽:高橋鮎生
線画:淵脇国盛(菁映社)
ネガ編集:加納宗子
機材協力:青木基子
写真協力:塩田武史、江西浩一、芥川 仁
宣伝美術:宍戸則夫
事務局:米田正篤、佐々木正明、西谷秀明、柏木茂幸
音楽録音:プランクトン
録音所:青葉台スタジオ
現像所:ソニーPCL
協力:高岩 仁、土井睦雄、原田正純、本橋成一、水俣病センター相思社 他、多数の水俣シリーズスタッフ

1987年/日本 記録映画/カラー/43min./青林舎、シグロ
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